2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

古典芸能と「流行」芸能とエリート意識

ポップスやロックははやりものに過ぎないと、過去のエスタブリッシュメントが思っていたことが覆されつつある。音楽教科書に現役の著名なミュージシャンの楽曲が採用されることなど、わりとしばしば行われるようになった。ポップカルチャーが、層が厚くなっ…

はらわた

はらわたというのも、『戦争のはらわた』とか『悪魔のはらわた』とか、1970代、1980年代に使われすぎたせいでか、すっかりサブカルチャー方言になってしまった。戦前だったら、魚など各家庭でさばくのが普通(?)だったろうし、もっと普通の言葉だったろう…

あのひとたちがいろいろ書くのを眺めるたびに…

どんどん黒い発想が浮かんできて楽しくなってしまう。対応限界は何人までなんですか〜? とか…。

ところで…

このレビュワー氏の文章を読むと、清水真木の本はそんなにおかしな本ではないような気がするが。 http://www.amazon.co.jp/review/R1J55N7SJ09KZS/ref=cm_cr_rdp_perm http://www.amazon.co.jp/review/R2S16YT078OXPS/ref=cm_cr_rdp_permニーチェは『悲劇の…

「体の中がかゆくなる」

つまらないことですが、気になったので一応。 もう全編にわたる「ございます」口調が何ともあれである上に、内容もまた、体の中がかゆくなってくるようなものである。http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100728 体の中って、かゆくなりますかね。だいたい…

『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』

自殺肯定映画というのは、基本的には嫌いなのだが、この作品はよくできていて納得できる。モードが収容所にいたらしいことの描写があっさりしすぎていて(ハロルドは気づいたのかな?)、もうちょっとくどくてもよかった。ハロルドはモードが世間に反抗して…

「愛し伊都の国」

kokadaさんが悪く言っていた教育テレビの北山修の番組を、にやにやしながら待つ。夕方、本屋で山口瞳の本を眺めたついでに、北山の『最後の授業』も眺めたというわけ。番組は、テレビを見ているだけではダメだとか、わりと普通の穏当なことをいっていた。精…

「思想と無思想の間」における家制度

珍妙な保守評論家として再ブレイクすることになる戦前の思想家黒田英之輔のひとり娘まゆみと、そうとは知らずにつきあいはじめた新進翻訳家の塩谷実は、晴れて結婚することになるのだが、黒田の姉が家名に拘って塩屋は自分の姓を黒田に変えることを要求され…

丸谷才一「思想と無思想の間」

昭和四十三年発表。三島事件の二年前だ。林房雄を筒井康隆風にカリカチュアライズした前半は、ただただ楽しい読み物といった印象だが、後半に不気味な右翼青年が登場してくる。後のオウム事件の教団幹部の名前に「偶然一致」した名前を持つこの青年は、自分…

自己を疑う

「自己を疑う」などというと、すごくかっこよさそうだが、本当に疑ったら、その瞬間から、なにも、ひとことも口を聞けなくなってしまう。積極的うつ病というか。フリーズするパソコンのように。だから、「フリーズしてしまっている自分」を自分の外側に出し…

「刎頸の友」

「親殺し合う計画、裏切ったら殺す」約束 宝塚女子中学生放火 7月27日8時17分配信 産経新聞 兵庫県宝塚市で3人が死傷した放火事件で、逮捕された市立中3年の少女(15)と同級生の少女(14)が「親を殺し合う計画を裏切ったら、相手を殺す」という約束…

『明日に処刑を…』

邦題(昭和五十一年公開)は、「明日」は『明日に向かって撃て!』や『俺たちに明日はない』だろうが、「処刑」は…。『処刑軍団ザップ』? ああ、ヤコペッティや東映のエログロあたりを意識しているのかな。これは見ておいて良かった。

『シェルター』

J.ムーアは、こういうのが本当に好きなんだなあ。ネタバレ。背教者が敬虔な呪術師に呪われて、無神論者専用の「なまはげ」になってしまう。「無神論者はいねが〜」。無神論者は魂を抜かれて、だんだんと死体になってしまうわけ。主人公のムーアは、「なまは…

『Dr.パルナサスの鏡』

『シェルター』と対にした新橋文化は面白いチョイスをしたと思う。選択についての話なのだ。その実態をうすうす知りながらとんでもない非道に加担していた若者と、想定外の愛の結晶をまもるために苦悩する老人の対比が面白い。呪われているのではないかと思…

言論の自由とは言論の免責である

村崎百郎刺殺事件、犯人が殺人に訴えずに裁判に訴えていたらどうだったろうと思う。言論の自由があるから、村崎の文章はまず不法行為とはみなされないだろう。しかし、訴訟を連発すればスクラムにはなる。そして、文筆業者の利益を阻害すること自体は、言論…

無許可で世界をつくることへの僻み

筒井康隆が文壇ということを過剰にいいだして、ある種の人たちがイライラしだしたのは1980年代からだろうか。まあねえ、そのイライラ、わからないでもないけど、いいじゃない、と思うのである。『輝く日の宮』で杉安佐子が、源氏にいれこみすぎて道長と紫式…

身分制のなかの平等

『輝く日の宮』読了。紫式部の父親が、道長の配慮から漏れて職からあぶれていた時期があったらしくて、源氏物語を娘が著した功績でもって、道長から地位を与えられたということがあったらしい。ある枠をつくって、その枠のなかの人事を差配することで、平和…

『輝く日の宮』(大についても)

大事なのは、丸谷才一じしんは別に徴兵忌避もしてないし、国学院大学に骨を埋める気もなかったであろうということだ。一介の自営業者としての自己をたんたんとリアリズムで描く小説をものする気はさらさらなかったということ。小説が主人公を要求し、ヨナや…

小谷野さんに質問(済)

別姓論議。義子(男)を婿養子にする余裕のない家の親たちが、それでも家名を存続させようという考えでいることがけしからん、ということなのですか?さいしょの妻さんのことはブログにぽろっと書いていて、おいおい大丈夫なのかよと思ったことあり。あれあ…

『笹まくら』

もっと若い頃に読んでおけばよかった。段落変更だけで時制が移るのは、誰がはじめたんだろう。戦後日本への違和感というテーマならば、開戦前から戦争を受け入れなかった浜田庄吉とは反対に、終戦後も戦後をうけいれずに時を過ごした小野田寛郎や横井庄一の…

『結婚失格』

つい買ってしまった。夫もへんな人だが、妻は妻でおかしな人物だと思う。解説は、そこを論旨に沿わせようとして無視しているから、妙なことになってしまったのだろう。元妻は遍在する神だとか、『エディプスの恋人』ですか?しかしそもそも、なんで成長しな…

みんな勘違いしているようだが

この世には現実しか存在しないのだよ。これは空想であるとして、他人から遠ざけたい現実が当人のなかにあるという、それだけの話。空想というのは、そういうものでしかない。本人が、これは現実だと認めたものが現実であるだけだ。

ひどい弁護士がなぜひどい弁護士なのかを精神分析する

そういう小説を読みたいね。ひどい弁護士が、どうひどい弁護士であるのかは、筒井康隆が『巨船ベラス・レトラス』でちょっとやっている。

結論を出そうとすれば…

結婚失格 (講談社文庫)作者: 枡野浩一出版社/メーカー: 講談社発売日: 2010/07/15メディア: 文庫購入: 23人 クリック: 767回この商品を含むブログ (33件) を見るすけべ根性がつい出て解説と冒頭だけ立ち読みしてしまったのだが、う〜ん。いま丸谷才一『笹ま…

日本の終戦と、丸谷のエホバと、五島勉のノストラダムス

そうするとノストラダムスの五島勉が丸谷と世代が近いということが気にかかる。急速に復興した日本社会に対するむかつき・違和感が、五島をしてノストラダムスに向かわせたのではないか。それは戦争に負けたら日本は滅ぶと脅かされた五島少年がいだいたかつ…

『エホバの顔を避けて』

終章以外は、山にのぼる直前のヨナによる長大な回想。終章は人との交わりをさけて急激に痴呆化していくヨナの内的独白。習作は習作としても、書き込みすぎている習作。まるで自分がニネベの街に行ったかのような読後感をもよおした。エホバの罰が下らなかっ…

『インセプション』

『インセプション』 切ない話だなあ。そういえば2010年のこんにち、私たちはほどよい具合に「マトリックス」を忘れている。忘れきってもいない。あの映画を見て、自殺した子供たちがいたらしい。そういうことを思い出した(ただ自殺しただけでなく、コロンバ…

『エホバの顔を避けて』読書中

アシドドとラメテが現れてからは、これは何だ、石川淳か?

人々が言葉をうしなうこと

そういえば、戦後の結婚って「両性の合意」によるのだった。家の意向なんかではなく、当事者が決めなさいよ、と。これって、よく考えたら、すごいことだよな。すぐ解消(変換候補のいちばんめが「甲斐性」だってw)できる、できて当然のこと、ということにな…

大について

親子とも有名な場合。最初から大小セット。例:デュマ親子(大デュマ、小デュマ)、バッハ親子(大バッハ、小バッハ)など。偉大の意味でつける尊称としての「大」。大谷崎、大乱歩(たしかに「大江戸川」じゃなんのことやらわからない)、大トルストイなど…