心身問題の奥深さ

12月に、以下の本を読んだ。

グーグル革命の衝撃 (新潮文庫)

グーグル革命の衝撃 (新潮文庫)

心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く

心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く

さらば脳ブーム (新潮新書)

さらば脳ブーム (新潮新書)

まずグーグルの本を読んで、あの検索結果のそばに出てくる広告文で、けっこうなお金が動いている事実を知り、驚いた。

そして、利用者が煩わしく感じない程度に利用者をコントロールする基盤をつくる、という現代的な産業の特徴に興味を持ち、そのベース知識ともいえる脳の科学に関心が移った。
『心脳問題』は、哲学愛好家の立場から、脳の科学万能論に与する世論に警鐘をならしつつ、いままでの哲学の分野で行われた心身問題を概括する本で、まとまった見取り図を得たくて本を手にとった私をかなりイラつかせたのだが、まあそれはいい。

『さらば脳ブーム』は、脳の科学(最前からお気づきのように、わざと脳科学という言葉を避けている)を産業応用に実践した人の経験談と感想を知りたくて読んだ本で、こちらは私の関心にどんぴしゃの本で、かなり面白かった。

『さらば』の中でも、著者の川島教授は彼なりの心身問題を考えている。科学は事実以外の感想を扱えない。科学において事実でないものは仮説くらいだろう。退屈で煩瑣な脳トレを積めば頭がよくなる、という仮説は、どのように証明すればいいのか、あるいは、どのような事実を集めれば証明したことになるか。

『グーグル革命の衝撃』に戻って考えれば、グーグルのアルゴリズムがグーグルの成功を導いたのか、ということと同じである。脳トレ→頭がよくなる、脳の科学の産業化→東北大学の新築研究棟、門外不出のアルゴリズム→グーグル社の成功、どれもこの図式は本当かなあ、とその他大勢であるわれら一般人は不思議に思う。

『心脳問題』の著者らは、こういう図式のことを、カテゴリーミスつまり範疇の誤謬であると指摘するのだが、私などはなまじ社会科学系の学部にいたものだから、その矢印の中に市場とか大衆とかが含まれているんでしょと思って、哲学者も科学者も馬鹿なのかなあ、と思う。

素人が心身問題を考える際に暗黙のうちに犯している思考上のチート(ズル、不正)があると思う。自分が考えていることをうっかり忘れてしまう、ということである。人間は社会から隔絶しきった状態でものを考える状況になかなか恵まれないものだから、自分が周囲から得た他人の反応を自分のこととしてうっかり思考に含んでしまうのである。社会というのは個体の外部に存在するものではなくて、個体の外側つまり外界からの反応を受け取った自分の体(つまり脳)の反応履歴(要するに心の癖)こみで存在するものである。存在ではなくて、現象なのかもしれないが、そういうカテゴリーの厳正な判定は哲学者に任せておけばいい。
(以下次号)