小説読むこと=民主化が目に入らないふり

戦後の文学には基本的には関心がない。戦後面白いのはゴシップで、プライバシー観念がすすんでそれも無理になってきた。いつも面白いのは考証しかないんだろうな。哲学も困るし、科学はもう素人には追いつけない。

小説が描写するしかやれることがなくなったのは、時代の要請なんじゃないか。

呉さん

栗原氏とはいちいち合わないな(ついったー見た)。春樹は、ギャルゲー以前にRPGだって斎藤美奈子が喝破?してたし。

呉智英の平岡太田追悼文?読んだけど、これ、どうなんだろう? アレって何? 気違い沙汰ってはっきり書けばいいのに。なんだか他の人はまともだったみたいなニュアンスを感じて変なことだ。変な時代だったというだけだろう(現代もまた別様に変なのだ)。末尾の「共産主義のロシヤ革命も人権主義のフランス革命も、実体を調べてみればこれと同じ喜劇的悲劇の妄動なんだよと、三人は身をもって演じたのである」あたりが、無残だなと思ったのである。呉さん、歳とれない性格なんじゃないか。