2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧
文系は文にしたしまなければそもそも話にならない。理系はことわり(理)に親しまなければそもそも話にならない。ことわり(理)を自在に解きほぐせなければ。科学者は口べたでも構わないというのはそれをクリアしたうえでのことだ。法を駆使すれば法学者、…
たんに、理系は「人生の意味」について回答しないというだけの話。べつに恐れ入るようなことではない。宇宙や地層やブラウン管に人生の回答が隠されているわけではないのは、文系にだってわかる。またまたひきあいにだすのは晩年のフロイトだ。回復の望みが…
さすがにこれはないわと思ったが、人知を超えた存在の降臨を前にして唖然としてへたりこむニコラス・ケイジにはちょっと笑ってしまった。緯度はともかく経度はイギリスが原点になっているわけで、宇宙人さんたちも妙なところで地球人(白人?)に優しい。ど…
不自然であることを難じるというのもルソー以来の論法ということになるか。なにが自然かって、外敵やら病気やら生存の不安に追いまくられることほど動物にとって自然なことはないと思うのだが…。タバコの煙や自動車の排ガスを忌避するのなら、火事の煙や火山…
昭和が終わるまでに4年(正味3年ちょっと)をのこした1985年の作品。結婚を間近に控えた専務の息子を部下にもつ係長(財津一郎)が、披露宴でのスピーチを専務から頼まれる。慣れない祝辞を考えるのに四苦八苦する係長の話。演じること、他人の目を気…
食い詰めた浪人の三船敏郎が謎の男に雇われる。指示に従ってなにをするのかも分からないまま峠の茶屋を訪れたら、股旅者(裕次郎)や医者崩れ(勝新)、それぞれ深手を負った盗人とその追っ手の役人(中村(萬屋)錦之介)が茶屋に集まってきて…。何がおこる…
かなりいい。『マイノリティ・リポート』よりも主人公の喪失感がきわだっていた(トム・クルーズにジョン・アンダートンの役は荷がかちすぎた)。キネコの汚い画質が気にならなくなるくらい最後は感動した。劇場に新宿タイガーマスクも来ていた。あの扮装も…
なんでも民主的な近代思想も「優先権」に関しては民主主義を排除している。でないと資本主義がなりたたない(ような気がする)から。しかしそれは本当にそうかという気がする。本はもともとオリジナルではない。原稿や談話(を起こして文章にする場合)がオ…
日本ってIT大国じゃなかったの?
このためにわざわざ税金を使ったわけだ。このためにわざわざ税金を使ったわけだ。このためにわざわざ税金を使ったわけだ。
能舞台の橋掛りなど面白い。つい渡り廊下と言ってしまいそうだが、観客から見えないところに別個に「渡廊下」が能舞台にはある。橋掛りでの所作なども演技として提示する発想が面白い。国会などもまあ舞台である。舞台だと思ってみると、演劇だと思ってみる…
がしかし、それを説明することはできない。できないからいろいろな齟齬が生じて、演劇の材料になる。映像もまたある人の主観を十全に表現することなどできないが(できないよ)、「偏見」というテクによって表現されたように観客に錯覚させるのだ。結局のと…
いちばんむずかしい演技は、「考える演技」だろう。考えることも行為なのに、この行為だけ「似せもの」として表現するのがむずかしい。食べるふり寝るふりなどはまあできる。歩くふりというのは、あんまり意味がなくて舞台でも歩くしかない。しかし、本当に…
テレビが登場しラジオが小型・廉価化をはじめた戦後は、無料の文化が一般化をはじめたプロセスに突入した時代だった。NHK一局しかない時代は放送も有料だったのである。おおくの人間(つまり「一般」人)は、無料の文化とそれまでにエスタブリッシュしていた…
JALがつぶれるのだって、営利企業のはずなのに「国」も「利用者」も捨てなかったから、どちらか一方を選択しなかったからおこったことだ。国鉄をJRにした中曽根は偉大だった。子供のころから不思議だった。日本人には近代が半分しか訪れていない。なぜ企業活…
8ミリ映画をハイビジョンでテレシネしているサイトがあって、その鮮やかさにしばしみとれた(たとえば http://eyevio.jp/movie/159383)。ビデオはアナログもデジタルも、ようするにモザイクだから、解像度が上がった新方式が登場したら見劣りしてしまう。 …
現在でも、キネコ録画された番組が放送される事があるが、放送当時の画質は、現在のアナログテレビで放送される映像とあまり差がなく、当時の放送の画質自体が悪かったと考えるのは早計である。(http://ja.wikipedia.org/wiki/キネコ)
ありえんくらいの照明をたいて、そのままだと暑いから冷房をぎんぎんに利かせる。バラエティ番組は、そうやってあのフラットな画質を得る。
日テレが夜中に小林繁の追悼番組を流していて、VTR(あ、テープじゃないかもしれないな)で、小林繁と江川卓がCM用のリッチな画質のままで会話をつづけるのでついみいってしまった。照明光は、演者の肌の色を飛ばしもするし、引き立てもする…。
都市と農村って懐かしい響きだなあ…。いまだにそんなことを言っているのか…。法律が規制していないことは何をやったっていいに決まっているだろうに。都市と呼ぶべきかどうか知らないが、都市というならそれが都市だよ。農村(しかし論者の理想化した農村だ…
演劇が好きで映画も好きな人で、テレビも好きな人はわりといると思う。 演劇が好きで映画は嫌いで、テレビが好きな人も、けっこういると思う。 演劇が嫌いで映画は好きで、テレビが好きという人は、そんなには多くないんじゃないか。とはいえ少数派ともいい…
クライアントと分析者のセッションは、ふつうに二人芝居を連想させるけれど、フロイト自身(このことに気が回らないほどの馬鹿ではなかったろう←なかば皮肉である)はその連想をみずからの意識から抑圧して、クライアントの談話を、小説のアナロジーとして解…
『大河ドラマ入門』を読んで思ったのだが、絵を描いて受けをとるというのもひとつの手だな。勝間和代や池田信夫はきっと絵が下手だろう(なにを根拠に…)。無難なウィークポイントを読者に教えておいた方がタレント生命は延びると思う。
むかし野次馬根性を出して『Right Eye』を読んだことがあるが上演を見るのははじめてだ(24年前…)。なんだかよくわからないがたしかにすごい。役者のからだのうごきが半端ではない。こまかいくすぐりがだんだんつながっていくところも面白い。映画と違う…
映画は基本的に孤独な娯楽で小説に近いが、演劇は体の動きと言語の応答が提示されていれば成り立つ感じがある。理解は二の次という気がするのだ。演劇の間は、役者と観客が協同してつくりあげるが、映画は編集によってそれを固定してしまう。わかるとか理解…
こんな簡単なことがなんでわからないんだか。業績のない検察官はちゃんと左遷されますよ…。
検察のやってることもそれなんですが。どこまでいっても判断するのは裁判官なんだし。単純なことがわからないんだねえ。
小谷野さんのイラストが宮崎駿風なのがちょっとおかしかった。線のタッチは『忘れられた帝国』の島田雅彦や中原昌也を彷彿とする。78ページの記述は、もうちょっとなんとかならなかったかと思う。ウルトラマンや東野英治郎のころの黄門なんかは、フィルム…
(タイトルで言い尽くしてしまった。本文なし)
朝生みたいなのも「演劇」なのだとおもうと存在意義が理解できる。能を紹介する教養ビデオ(図書館から借りた)を巻き戻していたら、チューナーがテレ朝に合っていて、田原総一郎がフリップをふりまわしていた。ああ、こりゃ小道具なわけだとひとりごちる。…