2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧

『リーピング』

なんじゃこりゃあ…。『ウィッカーマン』や『ホット・ファズ』のネタにCGを投入したもの。やはりクリアな映像はオカルトものでは興ざめだな。『クライング・ゲーム』『V・フォー・ヴェンデッタ』のスティーブン・レイが出てる。ジェイソン・ミラーにちょっと…

『かいじゅうたちのいるところ』

たいていのファンタジーは、主人公が異世界におもむき、経験をつみ立身を重ねて、王女の心をつかみ、王になる。いかしこの映画の主人公にあたえられたミッションは、「他者との愛憎をいやというほど経験すること」なのだ。主人公は異世界にたどりついてそう…

引キテ、用フ

そういえばquoteとciteの違いというのもあった。著作権法的に無許可でけっこうなのは、もちろん、他人の著作の一部をそれとして自著に掲示することだ。全部だったら海賊出版。断リ無ク引キテ用フ行為はこの枠にとどまらないことは普通に考えたらわかる。

引くか引かぬか主観の問題

本人が引いて用いていれば、他人が気がつかなくても引用である。

引用とあてこすり

日本人論である。本歌取りの国の住人である日本人は文字通りの意味での引用を気障として避ける傾向がある。それでも引用を口にする場合はたいていはものまね、あるいはあてこすりとして声色まで真似てしまう。言葉から本質を抽出する作業が、きっと怖いのだ…

『サロゲート』の予告をみた

なんだか企画会議で『イノセンス』のDVDでも見たのかと思うほど意匠が似ているシーンがある。ちょっと興味ある。

人間の女も、泣かずに吠えればいいんだよ

『かいじゅうたちのいるところ』を見て、そう思いました。俺は、そういう女は、惚れる。

盲人における左と右

介助者に手をとって教われば、この手の方が右、反対側は左、ということはわかるだろう。とはいえ、盲人にとって左右は、健常者ほどには主要な観念ではないような気がするのである。盲人にとっては、正面か背面かがより重要であるだろう。音のする方に向くか…

日本における左と右

なぜ左大臣が上で右大臣が下なのか(古代中国が範らしい)。和服も左が上である(右前というのは着る者にとっての前か)。とはいえこれは右利きの腕が刀を抜く時の便宜だが。

清張『昭和史発掘』読んでる

明治大正と昭和初頭とでどうちがうかといったら、議会制民主主義が浸透したかどうかなのだなあ。というより社会がそれまでにいったんデモクラシーに飽き、倦んでた。いまよりよほど極端な虚無思想、アナーキズムが「流行って」いた。幕末や明治初期と比較し…

やはり書いてあった

「軍人には階級があって抑えが利くが、政党人には肩章がない。かれらに操縦が利くのは金銭だけで、昔も今も変わりはない。」(『昭和史発掘』3 文春文庫旧版82ページ)こういうことが書いてあるのではないかとおもって読んでいたのだが、やっぱりあった。…

おカネにならない

それなら匿名掲示版に書きこむ者たちを描いた映画もあってしかるべきではないか(http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100116) あってもいいけどおカネにならないですよ。小説がそうなったように、映画もまた社会をビビッドに活写する能力を失ったんですよ…

人々を描く

日本人は日本が法治国家ではなくテレビ治国家だと思っているから、まずそこが間違っていることを諄々と啓蒙しなければならない。『それでもボクはやってない』は、脚本だけ雑誌に掲載されたのを読んだけど、これもスポイラーだと思う。言葉の通じない人間が…

3次元空間では平面をおりまげることができる

紙に書いた線分ABの最短距離は、紙をおりまげて線分ABを点A(同時に点B)にしてしまうことである。というのはSFの常套句。ワープの理屈はわかるが、しかし理解と同時に、3次元の存在である人間がワープ移動を行うことが不可能なのを悟る瞬間でもある。あえ…

亀を追うアキレスと飛んでいる矢の関係

アキレスの逆説は、「亀を追い抜く瞬間までは決して追い抜くことはできない」という意味であるという話は前にした。しかし矢の逆説は面白い。運動を分解したら運動は消滅するか。まあ消滅するのである。運動を映画のカメラで収録すれば、一定の要領で並んだ…

どの時点で永住外国人とみなすか

これはたしかに難しい。悪意ある場合をのぞいたとしても、気が変わるということもある。外国人の参政権を考えるより、帰化申請を容易にして、外国の民族文化に寛容になればいいのではないだろうか。もともと西洋服がフォーマルのアジア国家なのだから。日本…

獲得することは科学的にはどう表現されるのか

食べることも獲得のひとつだが、これは対象を破壊消化吸収することだ。

『ゴドー』でいちばん多くつかわれる語彙は

「沈黙」かなあ。

死ぬ直前の生者と、生を終えた直後の死者は

外見上それほどの違いはない…。

石火矢衆とイノシシとの戦いが回想で語られる

開戦前のモロの予想(未来)、離れた場所にいるアシタカの想像(現在)、戦いに生き残ったタタラ場の男たち(過去)と3通りの切り口で語られるのだ。「石火矢衆とイノシシとの戦い」のシーンそのものは、ない。これは初見の時から不思議に思っていた。黒沢…

教えを宗とするから宗教

信じているだけでは宗教にならないんでは? たいていの宗教は行、業(ぎょう)にしたがうことを要求してくるのですよ。なにもしてない、信じている、はいこれ宗教です。そんなわけはないと思いますよ。それは宗教ではなくて空想、あるいは世界観ですよ。(『…

根拠を抜いてしまった…

アシタカだって、向かってくる者はばんばん殺してしまう。宮崎駿は、なぜ生命は大切なのかという問いを『もののけ姫』において放棄してしまった。生命と生存は、それぞれ別個の価値だったのだ。アシタカの矢は、『北斗の拳』トキの有情拳ではないが、痛みを…

『もののけ姫』

ほどよく忘れていたのでついひきこまれた。今回はじめて気づいた点。生まれ育った村でアシタカヒコと呼ばれた主人公はタタラ場の村ではアシタカと呼ばれる。「千と千尋」で明瞭になった「あだ名をつけられること」は、もうこの作でも行われていた。主人公の…

ジョン・ランボーはアルチュール・ランボーにちなんでいることを知らない人

『唯野教授』執筆時の筒井康隆もたぶんそうだったろう…。

『人斬り』

あまり時代劇にくわしくないので先達にたずねたい気もするが、磔で、ちゃんと執行人が受刑者の体を槍でぶすぶすと刺す描写を行っているのって、珍しいのではないか。失血死させる、しかも苦悶の時間を受刑者に与えることが目的の刑罰なのだが(実際にはさっ…

理論負荷性って本当にあるもんだ

考えをもって見たら、『もののけ姫』に、それまで何度か見ているのに、いままで無視していたものがいろいろあったことに気がついた。

なんと新書になってた

自死という生き方 (双葉新書)作者: 須原一秀出版社/メーカー: 双葉社発売日: 2009/12/09メディア: 新書購入: 1人 クリック: 40回この商品を含むブログ (9件) を見るけっこう長いし、これで普通の人がよしおれも死んでしまおうなどとは思わないかもしれないが…

「レンタル落ち」

便利なのでつい使ってしまうが、「文庫落ち」って言葉があるから、誤用だろうな。「レンタルに落ちた」ではなく「レンタルから落ちた」の意味で使っているのだから。「見切り品」でいいのだろう。あ、しかし「都落ち」ってあるなあ。間違いでもないのか。

スクリーンに投影された映像を見ることを「フィルムを見る」と表現する人がいる

フィルムを見てても退屈ですよ…。

映画の脚本はスクリーンプレイ、テレビドラマの脚本はテレプレイ

英語って律儀だ。