あいかわらず演劇のことを考えている

能舞台の橋掛りなど面白い。つい渡り廊下と言ってしまいそうだが、観客から見えないところに別個に「渡廊下」が能舞台にはある。橋掛りでの所作なども演技として提示する発想が面白い。

国会などもまあ舞台である。舞台だと思ってみると、演劇だと思ってみると、たいていの会話や演説は面白い。面白く感じるようになってしまった。内容の矛盾を突くなどは、二流の楽しみかたと感じるようになった。

私なんかは偏屈で理屈っぽいから、ひとから話を聞いても生返事だけ返してずっと考え事などしたりすることもあるが、聞いたことに対する反応の束が演劇なのだといえそうだ。観客は通常役者と役者の反応をオブザーバーとして楽しむが、映画は視点人物の見た目とかが入ってきてしまうので、映画も観劇も覗き見の芸術化といえばいえるが、質が違う。

演劇にぜったいできない映画の技法は、フラッシュバックで主観をあらわすことか。映像「言語」だから、FBしたから即主観かというとそうでもないわけだが(役者の背後になぜかスクリーンがあって関係ない映像を投影してただけとか、パロディにする手はある)。演劇では主観は当人に言語で表明してもらうしかないわけだが、言語化した段階でいちおうの整理はほどこされている。あるいは劇作家が役者に設定だけ伝えて、舞台上で役者自身に、役のセリフをつくってもらうという手もあるだろう。役者に要領を得ない談話を訥々としてもらうことに面白みを感じさせるわけだ。