合理性と信仰

なんでも民主的な近代思想も「優先権」に関しては民主主義を排除している。でないと資本主義がなりたたない(ような気がする)から。しかしそれは本当にそうかという気がする。

本はもともとオリジナルではない。原稿や談話(を起こして文章にする場合)がオリジナルである。なぜ文庫本やビデオを出すばかりでいいものをつくらないのか(実は私は映画館主義者なのである)。そんなの売れてるからやってるだけである。もうすこし真面目に「保身のメカニズム」を見直そう。毎回道義的に間違ってるからダメといいつのるだけじゃアホすぎる。

似せものほど流通しやすいのだ。悪貨は良貨を駆逐する、悪いものは市場に出回る、良いものは手元にガメておきたくなる(本当はこういう意味だったと思うけど)。画一的に大量生産されればなんであってもそれは貨幣になりうる。

ヒトは、なにかを信仰しなければやっていけない、つまり平静を保てない動物だとおもうので、私はヒトが何かを信仰すること自体はべつに否定しないのだ。ただそれが本能的な防護措置でしかないことを常に認識しているニヒリズムは必要だろうと思うのである。「締念憲法」の話は前にした。