教養

文庫の背の色が、レーベル名を聞いてすぐに心に浮かんで、でも挙げられたタイトルがそのレーベルににあわないなと認知不協和を起こし、ちょっとしらべたらやはり筆者がレーベル名を間違えていたのだなと納得するまでの一連の心の働きをつまり教養と呼ぶのであると。しかも2日たってもまだ訂正されないのをみてほくそえむのは嘲笑の類であろうと。

雑賀忠義のはかりごと(あるいは日本語を話す「アメリカ人」)

その可能性に思い立って軽くぞっとしたのだが、原爆慰霊碑の文言は、あれは日本人がアメリカ人を装って日本人にあやまってみせたのではないか。


本当は
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから 米国大統領ハリー・S・トルーマン
と刻みたかったのではないか。


それを「無関係な」インド人が怪訝におもって質したら、雑賀忠義はヒスをおこして「人類」を持ち出した。たぶん雑賀のなかでは、人類にインド人は含まれていなかったのだ。碑文論争(http://ja.wikipedia.org/wiki/原爆死没者慰霊碑#.E7.A2.91.E6.96.87.E8.AB.96.E4.BA.89)など起しておいて、しかし、だれも本音のことを口にしたりはしなかった。というよりも本心を隠そうとして、日本人は暗黙のうちに連帯して、煙幕としての碑文論争をでっちあげたのではないか。


バンテージ・ポイント』で、テロリストは路上にとびだした子供をさけて自らの運転する車を横転させる。これこそ映画の製作者たち(アメリカ人)の願望の表出だろう。実際にアルカイダがこういう状況に直面したら、彼らは平然と子供をひき殺すだろう。9.11の屈辱を拭おうとして、かれらはこういう虚構を必要とした。それとおなじことが、おなじ心理的葛藤が、半世紀前の広島でも演じられたということではないか。

法外な楽観主義

わたしも50歳の頃におおきな戦争がおこって、日本の人口が5000万人くらいに減ってしまったら、あるいはフロイトのように悲観論に走るのかもしれないが、しかし、悲観論というのはけっきょくナルシシズムの一例でしかないのではないか。


フロイトに先立ちニーチェが「神の死」を言明し、当時楽観主義は知識人の間では既に力を失っていた。フロイトの思考の変遷も悲観的な世界情勢と無縁ではなかったであろう。彼は第二次世界大戦の戦禍を見ずに亡くなったが、はからずもその後ヒロシマナガサキへの核爆弾の投下、ホロコーストなどが起こって破壊衝動を「予言」したような形になり、水爆開発などで現在では計算上は人類を複数回滅ぼせるほどの大量破壊兵器を所持していることが明らかになっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/デストルドー#.E5.BE.8C.E4.B8.96.E3.81.B8.E3.81.AE.E5.BD.B1.E9.9F.BF


これは誤解である。トゥーマッチな軍備を営々と重ね続け、なお「自分たちの側は生き残る」と思っている政治家たちの法外な楽観主義にこそ驚かなければならないのだ。


人間への洞察など、じつは社会はいっかな必要としない無価値なものにすぎなかった。そしてユダヤ人という出自による差別。世界大戦によって顕在化したこのダブルパンチを受けて、フロイト自身もナルシシズムに退避するしか道がなくなってしまったのだろう。ユダヤ人であることで差別されたフロイトは、自身が信じていなかったはずのユダヤ教に科学の衣をかぶせて、これを歴史的事実として祭り上げ(「トーテムとタブー」以来、「モーゼと一神教」にいたるまで)、ユダヤ人を差別する西洋社会とひそかに対立していたのである。

『文化への不満』

個人のうちに罪悪感をいだかせることが、共同体ひいては文化の戦略であり、そのために個人は共同体のために働き、運が悪いとそのミッションに失敗して神経症をわずらうのだというフロイトの洞察は面白い。あはは、中共の大量抑圧・虐殺が「文化大革命」とよばれたことを連想するよ。


現代人(当時)は性に配慮することで性から遠ざかった、とするフロイトの見解も面白い。たしかに性器に避妊具を装着して性交したら快感は減じるのだ。妊娠したら産んで育てればいいではないかと両性が思って性交する場合にいちばん快感が強いだろうということは容易に想像できる。そういう相手とだけ性交するのが本当だろうといわれれば、然りと頷くしかない。ハイデガーの投企という概念を連想しもする。


ふと思ったのは古谷実の漫画『わにとかげぎす』のこと。主人公は遅く童貞を卒業したのち性交がああも快感であったことをしらなかったと、感にたえずという様子で友人に述懐するのだが、このくだりが不思議だったのだ。コンドームを装着していなかったのだろうかと。


時代がひとまわりもふたまわりもして、倫理を軽視することが倫理に、つまり超自我になってしまったなあと思うのだ。人間の社会なんてそんなもんなのかもしれない。


あわせて思うのは堕胎についてである。個人的にはまったく同情できないと思うのはまえにも話したが(http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20090128/p4)、日本人も罪悪感を契機にして自分たちが殺した子供とつながるのだ。


さらに恐ろしい連想が浮かんだ。広島の原爆碑の文言、あれ、原爆犠牲者を堕児になぞらえてるんだ、きっと(!)。うわわわわ、恐ろしい。「安らかにねむって下さい。あやまちはくり返しませんから」これ、なにも知らない人が聞いたら、水子への謝罪の言葉だと思うよな…。

「遊び」の世代差

1899生まれのヒッチコックが007シリーズをどう思っていたのか、ちょっと知りたい気がする。1964年の『マーニー』にさっそくショーン・コネリーを呼んだのだもの、関心がなかったとは思えない。『間諜最後の日』(1936)などは十分「ボンド映画」であるというか、もちろん話は逆で、ボンド映画のスタッフたちこそヒッチコックの映画を見て育った世代であることは、ヒッチコックも了解していたろう。


『トパーズ』は、当時隆盛をきわめたスパイ映画にたいするオリジネイターからの挑戦状、…というわけでもなかったか。老いたヒッチコックは熟練した手さばきで、背任・詐称・不倫と、「裏切り」のモチーフでエピソードを連結してみせたが、愛国心のパロディを体現したようなボンドの軽さと比較したらいかにも暗く地味だった。エンディングの数度にわたる手直しなど、きちんと皮肉をいうことすらも、古くさい紳士の嗜みに堕した時代の流れを映していたのである。