ヒトラー「わが闘争」

 「わが闘争」を読んでいて驚いたのは、ヒトラーはアーリア民族の世界征服が失敗したら滅びてもいいと、1924年の段階から思っていたらしいのだ。

だが、「文化支持的」国民の発展についてのこのスケッチの中にすでに、この地上の真の文化創始者であるアーリア人種の生成と働き、および――消滅の姿が現れている。(「わが闘争」(第十一章 民族と人種)より)

 ヒトラーの語彙によれば、「文化創始者」が一流の人種で、「文化支持者」が二流のそれであって、日本人は文化支持者なのだそうだ…。ヒトラーには文化創始者の産物を文化支持者が蚕食するイメージが彼の心のうちにあったらしい。

 議会制民主主義の無責任についてあんなに批評的だったヒトラーが、自己の依拠する政治思想であるところのナチズム、国家社会主義の根本原理としての自民族優越主義を述べるこのくだりにおいて一転して単調になってしまうのは、ようするに具体的な行動として領土拡張が第一にあった(植民地経営は、ヒトラーにとって理論的には次善策でしかなかったらしい)ナチズムが自己満足的な性格のものでしかなかったことを明かしてはいまいか。

 つまり、ナチズムというのは、ごく簡単にいってしまえば、死ぬ気になったら何でもできる。強盗だってできる。民族虐殺だってできる。それができなければ死んでしまえばいい。…そういう理屈だったのではないか。

 ナチズムの盛衰の期間というのはたった十五年で、その十五年のあいだに、自分がいつでも死ねることを盾にとって他人を殺しまわっていた集団が、追い詰められたらそれまで再三繰り返していた文句のとおりに自殺して見せた…。