日本人の健康志向は、本当にナチズム起源なのか

 インド人が死体を風葬にしたり、川に流したりするのは、死者が死んだ瞬間にどこかべつの場所に転生しているからだと、インド人が考えているためであることを知れば、実感としてはともかく理屈のうえでは理解できる。だから死体をぞんざいにあつかうのかと。もちろん、日本人のわたしにとって「ぞんざい」に見えるだけなのだが。

 日本人が死んだ場合は、古代では速やかにモガリ場に連れていったし、中世なら土中に隔離したし、近代になると火葬するわけである。方法が問題なのではなく、死が穢れだからである。

 猫猫先生大塚英志養老孟司がいうように、嫌煙志向に代表される、「最近の」日本人の強迫的な健康志向は、本当にナチズム起源だったり、ナチズムから影響されたりしているのだろうか。まったく根拠のない理由でも、穢れを感じるものはそれを忌避するという日本人古来の生理的嫌悪感が発動されているのに過ぎないのではないか。それこそ、3氏らこそが(ほかにも健康志向ナチズム起源説論者はいるけれど)、あやまった思想という「穢れ」を「ナチズム」という、どこからも文句がでることのない「思想の被差別階級」に押し込めているだけなのではないか。