パール判事

 現在、世界中で西洋化が進行しています。この西洋化は進歩に必ず付随する現象でしょうか。それとも、古代文明の例が示すように、崩壊の兆候にすぎないものでしょうか。ギリシャ、インド、バビロン、中国などの文明の歴史を大観してみると、文明の発達を計る基準は、領土の拡大に見られる環境の征服や、技術の進歩に見られる自然の征服ではないことが証明されていると思われます。
 われわれの聖者マハトマ・ガンジーは、この西洋文明の宿命を予見しました。そして、インドがみずからを救おうとすれば、現代の西洋の技術と西洋の精神を排斥しなければならない、という結論に達したのでした。(田中正明「パール判事の日本無罪論」小学館文庫 234ページ)

 気持ちはわかるのだが、しかしこの場合に崩壊するのは最後に生き残った文明であり、その文明に負けたよその文明は、勝ち残った文明より先に滅ばなければならない。どの文明も、その負けた文明になるのを避けようとして競争するのは仕方ないのではないか。

 パールの没後にインドは核保有したけれど、草葉の陰でパールはなにを思ったろうか。

 

西洋の覇権主義から始まる、かどうかは知らぬ。別にそんなものがなくたって核爆弾は発明されえたし、使われえただろう。http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080326

 おこらなかった歴史の話をしてもしかたありませんが、わたしは、西洋が中世のまま停滞していたら、核兵器なんか発明されなかったと思う。アインシュタインだってユダヤ人だから差別されて、ろくな職に就けなかっただろうし。

またMくんは「×」と書いているのは、どういう意味だろう。

 日本人は西洋文化にとりこまれてしまって、もはやパールの激励(たとえば235ページあたりのような)に応えられるようなナショナリストにはなれないだろうと思うのです。パールの言う「西洋化」が当然の必然としか思えないリアリティを背負っている。