猫猫先生へ

私はガンディーを崇拝などしていない。

 わたしはそんなこといってないじゃないですかあ〜…といいたいところですが、「歴史観」というくくりでパールと先生をひとくくりにしたのはわたしの落ち度ですから、ここは訂正しなくてはなりませんね。わたしが別項をたてて分割するべきでしょう。パール×○×○、先生××○○になるような第3の項目を。

また私は西洋の技術や精神を排斥しなければならない、とも思っていない。

 西洋の技術というよりも、西洋発の技術に普遍性があったとみるべきなのではないでしょうか、わたしたちだって(日本語訳された)ウィンドウズやマックを、自分で解説書など読んで、ふつうに使いこなしていますが、しかしOSを使用する対価をマイクロソフト社やアップルコンピューター社に払い続けているわけで。
 (追記)わたしは先生のことを共和制ナショナリストなんだと思っていますけれども、しかし、もしそうだったとしたら、精神はともかく、西洋の技術はなるべく排斥するべきなんじゃないかと思うのですが…。パソコンも日本製のOSで走らせ、自動車の輸出も輸入も禁止し、…。そうすれば日本の機密情報も外国へ流出しにくくなるし、日本の道路を走る自動車は劇的に少なくなりますよ(価格が暴騰するから)。

日本には「シナ」を許さず、英国人には「チャイナ」を許すようなシナの姿勢は正すべきだと思っている。むろんそれは呼称だけの問題ではない。

 いや、わかるんですけどね…。これは難しいなあ。理屈としてはわかるけれども、中国ということばを使うことに不快をかんじないわたしがいるわけで。この面でも文化戦争で日本は負けたことを認めていただけないかと…。
 逆に、日本人がPRCと呼ぶのも面白いかも…。ぴーあーるしー、と。ゆーえす、とか、ゆーけーとか、ぴーあーるとか。