素朴な疑問

冤罪事件というのがある。裁判所で有罪判決を出した。その結果に基づいて、有罪になった人物を非難したり、意見を述べたとき、あとで冤罪事件とわかったとしても、有罪を出した裁判所の判断を信じ意見を述べた人間が、罰せられたり責任をとらされたら、たまったもんじゃない。典型的な言論統制である。そうした場合、責任をとるべきは、詫びるべきは、裁判所であり、偽りの証言者であり、強引な捜査官である。http://d.hatena.ne.jp/rento/20080328

たしかに「罰せられたり責任をとらされたら、たまったもんじゃない」だろうが、しかしあとで新事実がわかったらフォローのコメントを一行出す義務くらいはあるのではないか。いまや情報化社会であって、そんなのは簡単にできることなのだから、それをさぼることが許されるいわれもないだろう。意見ならともかく、有罪になった人間を批難する(ワイドショーのように?)シチュエーションに、どのような公益があるのか。マスコミ人こそ特権階級であって、そのくらいの義務を負うべきではないか。



この裁判もへんな裁判で、

続いて証言台に立った大江は、「現地調査はしなかったが参考資料を読み、集団自決は軍隊の命令という結論に至った」とし、座間味、渡嘉敷両島の元守備隊長2人が直接自決を命じなかったことは認めたうえで、住民に手榴弾が配布されたケースがあり、これが軍の強制となると主張した。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E#.E6.B2.96.E7.B8.84.E6.88.A6.E3.82.92.E3.82.81.E3.81.90.E3.81.A3.E3.81.A6

じゃあ、原告、勝ったんじゃない、と思うが、しかしこれは、私、「沖縄ノート」を読まなければなんないか。大江が「沖縄ノート」に、名指しを避けたにせよ守備隊長が自殺を強要していたと記述しているのであるとすれば、これは以降コメントを付け足さなければならないのではないか。


rento氏が「沖縄ノート」と大江が参考にした新聞を区別するから話がおかしくなるのだ。原告が「沖縄ノート」を訴えたのは、同書がロングセラーだったから、マスコミとして機能したからに決まっている。rento氏のコメントは、「沖縄ノート」が発売されてすぐに告訴された場合にかぎり有効であるものだ。



(2009年追記)しかし、原告側が名誉毀損による逸失利益を客観的に提示できなかったのだから、最初から原告側の敗訴は決まっていたようなものだ。日本人のこういう裁判についての無知はいつまで繰り返されるのだろう。