悪と模倣者


興奮がおちついてきたので気付いたのだが、『ダークナイト』は、『ファイトクラブ』からブラックユーモアを抜いてクソ真面目に濃縮したようなものなのかもしれない。

ブルース・ウェインとジョーカーの二面性は、『ファイトクラブ』の語り手とタイラー・ダーデンの二面性に通じるものがあるような気がする。

ダークナイト』であつかわれていた、バットマンワナビー、ジョーカーワナビー達の群れというネタは、『ファイトクラブ』のスペースモンキー団の連中に通じていそうだ。『ゾディアック』にも、ゾディアックワナビーの変質者たちがサンフランシスコ警察や、主人公のグレイスミスを翻弄する挿話があった。

クリストファー・ノーランは、デヴィッド・フィンチャーと同じくらい死に興味をもっているが、しかしフィンチャーほどには苦痛に興味をもっていないようなのが面白い。ある面では健全といえるのかもしれないが、私にはかえって他人への無関心のあらわれのようで、ちょっと気にくわないのだ。今年のアメコミ映画の大量発生についても不審な感じだ。