なぜ天皇制論議をするの

昔のファミコンやビデオは、アンテナ端子に先開形の圧着端子をつないで空チャンネルで見てたから、そろそろ使えなくなくなっちゃうわけだ。

存続すべきかどうかという議論は、こういう方式について「いま」行うべきものであって、一般参賀に人が集まっていて、週刊誌のネタにも頻繁にされる皇室は、その存続を議論する段階になっていないのではないかとおもうのだ。

皇室には人権がないというけれど、期待されている職務にたいする身分保証だとすれば、猫猫先生も黒古さんのとこで私に「公務員に「私的な時間」などはありません」と言ったのだから、これはつまり人権が制限されているということだよねえ…。

みんな「信じるからにはちゃんとやってほしい」または「信じないからもうなくなっていい」と言ってるだけなんだ。前者は皇室に小言をたれる右翼だし、後者は、猫猫先生の大相撲にたいする感慨なわけだ。みんな信念の回りをぐるぐると…。