ボディ・アンド・ソウル、金か名誉か

ダークナイト』の冒頭の、ウィリアム・フィクトナーヒース・レジャーの問答は、かみ合っていないんだよな。というか、フィクトナーが想定する関心領域にレジャーのジョーカーはいないことの宣言のためにフィクトナーは用意されているわけで…。

ワールド・オブ・ライズ』のディカプリオが、なぜそこまで自分の仕事に入れこむのか、監督のリドリーはくわしく描かない。リドリーは、理由のある闘争がいやなのだ。理由がなくなってしまったら、闘争する必要がなくなってしまうから。

狂気の形式としての名誉。そういえば、クリストファー・ノーランリドリー・スコットが生まれた国の人でもあった。『ダークナイト』は、ブルース・ウェインの名誉を描いているのかいないのか。

でもって、いま録画したNHKスペシャル『女と男』を見終えたばかりなのだが、女って、たぶん、金も名誉も次善のものでしかないんだろうな、などという感想をもったりして…。

平和な時代には、男の狩猟センスは邪魔でしかないわけで(なんだか村上龍みたいだなあ)、ゲームや仕事で散らすしかないわけだ…。

西洋人にとって、ボディって死体のことでもある。『ワールド・オブ・ライズ』の原題は『ボディ・オブ・ライズ』で、謀略用の死体のことだ。しかし東洋人、すくなくとも日本人にとって、体は直接には骸を意味しない(躯って表記もあるのか…。現代人だけかなあ)。

プロ倫から興味をもってルターについてまで読みはじめているけど、まあなにごともつきつめるとルターのようになることも、あるよね。ボディ・アンド・ソウル、って、すぐれて男性的な問題関心だと思うけど、如何?