風景としてのロック、風景としての…

イージーライダー』が例外としてポコッと存在しているだけで、ロック単体が映画の風景、BGMになるのは、案外遅かった。

ビートルズにはクラシックの教養があるアレンジャーがついていて、だから後期のアルバムがああなった。ロックはあくまで主役、フィーチャーされる対象で、風景としてはあつかわれなかった。

1970年代に、大人になっても聴けるロックの方向性がいろいろさぐられた。1970年代の後半に、そろそろ映画のBGMにつかえそうな落ち着いたロックというのが一般に認知されるようになってきた。

逆にいえば、クラシックはトーキー初期から風景になっていたということだ。現代音楽の作曲家は、風景ではないクラシックを確立しようとして、でも難しかった。戦中戦後のニュース映画をみると、マーラーやストラビンスキーの「火の鳥」やコプランドがよく聴こえる。風景になってしまった現代音楽とは、つまりあの感じである。結局クラシックになってしまったのだ。

戦前の映画は、ようするにラジオの記憶に支えられていたのだが、今の私たちにはラジオの記憶なんてあまりない。そういう記憶なしに昔の映画を見たって仕方なくね、とはちょっと思う。

たけしの放送を熱心に聴いていたのは、わたしより上の世代。わたしの世代だと伊集院か。こんなことを書いていたら『その男凶暴につき』の、あの炎天下の感じや、夜中にカーラジオで落語を聴く感じといった、「昭和の終わり頃の感じ」をまざまざと思い出してきた(テレビドラマからはじまったあの嘘くさい平成の落語ブームも、もう数年前の事象だ…)。あの映画は、『哀しい気分でジョーク』ではフィーチャーされる対象だったたけしが、自分の感覚を風景として映画にもちこんだ瞬間だった。

風景ということでいえば、電子音楽は、ロックほどの逡巡をへずにサクッと風景になってしまった。私が子供だった頃、イージーリスニングの氾濫をただただながめていた。そういうものなのだとおもっていた。なぜこういうものを必要とするのか、これを必要とする人の気持ちがわからなかった。そのうちに、オウム事件がおこった。事実上、日本が一体となった、現時点で最後の出来事。

私が子供の頃、再放送のウルトラマンを見たら、科学特捜隊の隊員たちが、本当に軍人みたいで、同時代の戦隊ものなんか見られたものではなかった。しかし、とはいえ、その科特隊のキャストたちも、戦中戦後生まれであって、別に本当に軍隊経験があったわけではなかった。主人公が長髪で、自動車整備工に下宿する『帰りマン』なんて、初代の十年後みたいな気がするが、しかし五年しか経っていない。