小此木啓吾『メディアエイジの精神分析』

著者の自己紹介として簡にして要をえた本。

前半の座談会の記録が面白い。なぜ精神科の道に進んだか、収入のない時期にどう対処したか、著作がブレイクした後身辺がいかに変化したか、調子に乗らなかった理由は何か。ようするに客観視ができている。

現実を観察して、その説明を報告するだけなので、保守的な立場の人たちの集まりで講演すると、聴衆の反応が悪い、という話が面白い。なにも、批判にはかならず対案が必要なわけではないのだ。

 岸田秀は「すべては○○である」という結論におとしこむけれど、小此木は観察に説明を付加するだけだった。だからモラトリアム人間やシゾイド人間や阿闍世コンプレックスやホテル家族や豊かな自閉や1.5といった用語が増えていく。シゾイドというのはスキゾイドで、精神分裂病のことだから、浅田彰の世代以降は、岸田秀のありかたと小此木のありかたをわがままに包含しようとして失敗した世代にみえる。スキゾ(小此木)とパラノ(岸田)のあいだを軽やかに越境しているつもりだったのだろう。『構造と力』でもなんでも、端的に「動機がみえない」のだ。