博覧

「ひろく一般の人が見ること」という語義は納得しがたい。ただただ「世人の博覧に供する」という表現があったために立項されたとしか思えない。

これだと出し物が一点しかなくても、「博覧会」が成立することになってしまう。

博覧が天覧や叡覧の対語ってことは、ないだろう(自信ない)。