プラクティカルジョークと乱歩と唐沢俊一(空気男は誰のこと?)

K――そこへいくと日本人はダメですな。変に真面目でジョークを解さない。私なんかもよく「あの唐沢という男はいいかげんなことばかり言う」と悪口を言われます。それも、トークライブの舞台の上で言ったことに対して、ですからね。
U――そうなるとシャレを解さん以前に、場の状況がまったくわからん馬鹿としかいいようがないな。
K――不真面目でメシを食っている商売なんだからねえ、モノカキなんてのは。
幻冬舎文庫『裏モノの神様』56ページ(太字原文のまま))

などというくだりのある、「イッツオンリージョーク!」の項に乱歩の『ぺてん師と空気男』が紹介されてたので、読んでみた。しかし、乱歩を読んでプラクティカルジョークをやりたくなって、それが「手袋を逆さに読んで」かいな。唐沢俊一はこれを書くときよほど時間がなかったのだろうな…。

ああ、あの変な小説じゃな。乱歩が出版社にせっつかれて、読んでいた外国もののプラクティカルジョークをそのまま引き写して書いたという(同書同ページ 太字原文のまま)

講談社江戸川乱歩全集第15巻「月と手袋」、中島河太郎の解題にこうある。

ややもすれば創作の筆を折りがちの著者に対して、新作を慫慂したのは桃源社社長の矢貴東司であった。矢貴は「足と電話で二百回」(探偵作家クラブ会報、昭和三十四年十一月)という熱心さであった。(略)そのころ西洋のプラクティカル・ジョーカーの逸話集のようなものを愛読していたので、その実例なども取り入れたという(281ページ)

これで「引き写して書いた」なんて口が悪い。乱歩は「わたしとしては前例のない風変わりな作風である」と述べているが、前例がないのはネタであって、作風は前例がないと言えるか疑問である。「赤い部屋」があったではないか。

ラクティカル・ジョークという表現も、どうも違和感がある。こなれた日本語がないものか。「どっきり」ともちょっと違うのだ(乱歩の時代には間に合わないが)。(そういえば、どっきりも、おたくのように平仮名から片仮名になった…。「どっきり」と書くと日テレのあの番組のパクリになると無知な業界人が思いこんでいる?)

そして意味深なことを乱歩は書いている…。

(わたしは「空気男」のことだから、固有名詞をこんなにそらで書けるわけがない。むろん、座右のその方面の本を、字引きのように参照しながら書いているものと御想像ください。前の滑稽小説家の名や作品や、伊東のしゃべった固有名詞なども、それぞれ本やノートを参照しているのです。「空気男」は文章一つ書くのにも、人にわからない苦労をするわけです)

(『ぺてん師と空気男』より)


なんて意味深なんだ(笑)