日本人が抱く知識に対する恐れ

 「万引きは犯罪だ」というポスターの文句がわからない。万引き犯は万引きを犯罪でないと思って万引きをしてるとでも思っているのだろうか。

 「映画と現実との区別がつかない(だから犯罪をする)」というのと同じ論理だと思うのである。「ここが駐禁だと知らなかった(だから切符切るのは見のがせ)」とか。

 お前が知ってるかどうかなんて関係ねえよ、おまえという存在がなした行為に国家が対応しているだけだ、というのである。

 日本人の原始的な人間観は法治主義に抵触するのだろう。日本人はいまだに人間が物質で構成されているだなんて思いもしない非科学的な民族なのである。たしかに、「知」らなきゃ「心」は構成されないもんな。「世間「知」らず」とはよく言ったもんだ。

 親告罪にたいする妙な誤解もそうだ。たとえば強姦にしろ、べつに公判が維持されない(国家は罰を下せない)だけであって、行為そのものの不道徳性が消えるわけではない。心から強姦が悪くないと思ってしているのであれば、それはそれで見上げた根性だが…。強姦は法律で罰せられます。

 知識は自己という現象と無関係に存在することに、日本人は耐えられないのである。