義務を生きる

 そういえば仕事が人格と関係しているって、いつごろからはじまった神話なのだろう。

 警官が「ああ」なのは、仕事だからであって、警官が淫行したり覚醒剤やったり拳銃で自殺したりするのは、たんにありえることにすぎない。教師が聖職だ、とか。どちらも自営業じゃないから、辞めさせられるわけだけど。

 このへんが、日本を語るポイントなのかもな。自営でない人々が多数派を占める国。品格を問う、というのは、そういうこと(制度的に個人から自立を奪っている)から人々が目をそむけたいから、という意味もあるかもしれない。

 そうそう、政治家の汚職だけ、評価の基準がちがうんだ。騒がれても、起訴されないで、ほとぼりがさめたら復権したりする。なんなんだろう、あれ。ちゃんと裁きをうけて服役をすましてから復帰すればいいではないか(前科がついたら被選挙人になれないんだっけ)。このあたりは明治の議会の歴史を追わないとわからないのだろうな。

 たとえばYMなどは(http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20090806/p2)、「大学教授にふさわしくない」とは、私は別に思わないわけだ。なら、どんな職業がふさわしいのよという話になってしまう。ただただ人格がひどいと、私は思うだけ。