「われらの魂を守る」

なぜヤマトを見たのかというと、エヴァンゲリオンの源流を確認したかったからというのが大きい。西崎義展の世界に魅せられた庵野秀明が、自分以降の世代にもフィットするように考えて作ったのがエヴァ世界というわけだ。その庵野は『沖縄決戦』も好きなそうで、だから追いかけて私も見たのである。岡本喜八の映画は、実写のヤマトのようだった…。

日本近代は西洋近代を見様見真似で作りあげた日本独自のものにすぎないのに、なぜ日本の躓きをもとにして日本人は(「西洋」をはずして普遍的なものとして仮構した)近代を語るのだろうと私はずっと不思議だった。そんなの、ただたんに、自惚れがすぎるだけ。

さっさと外人を出せよ。そういうと、出してくるわけだが、この外人も「自己主張の強すぎる他者」だったりして、現実的ではない。外人がそうなんだって? 違うだろ、おまえが外人をそういうものだと思いたがってるだけだろうが。

エヴァだってなあ…。キール・ローレンツとか、ドイツ人なんだろうけど、日本人にしか思えないよ(日本語をしゃべるしゃべらないは関係なく)。

銀河鉄道999やテレビ版ヤマトでいろんな星が出てくるのだって、西洋に現実の植民地をとられてしまったがゆえの、(西洋人をきどるために仕方なくつくりだした)代替物としての架空のオリエンタリズムなわけだ(「南洋の人々」みたいな宇宙人って出てこない)。この枠組み自体が過去の海洋冒険小説、映画、そして『スタートレック』のいただきにすぎないし。

日本が自力で開拓した植民地って、それこそ北海道や満州くらい? アイヌ馬賊を相手に『アバター』みたいなロマンスをつづる発想をついぞ日本人は持たなかった。




ついでによけいなことをいっちゃうと『日本沈没』で優先的に逃げ出す選民を演じた庵野は、「こういうのっていやでしょ? だからヤマトを好きになろうよ」という謎掛けをしていたわけだ…。そういえばこの映画も樋口版「ヤマト」だった。石原慎太郎や西崎義展よりすこしだけ年長の小松左京には沖田艦長的ヒロイズムは薄かったわけだ(嫌いなはずはないだろうけれど)。