『スカイ・クロラ』(原作小説)

たしかになにもないすみきった空を飛んでいれば、気がへんになってしまうこともあるかもなあ、という気分にはなれた。函南の生活と意見の、意見の方は幼稚にすぎてお呼びでなかったが、生活の、仕事の描写は面白い。

 映画の函南の独白と草薙の長ゼリフは両方とも原作にあったのは意外だった。原作における函南の「いつも通る道でも」云々は、草薙の独白にたいする反問となっていて、草薙への反問というよりも函南自身を取り巻く環境への反問のようにあつかわれていた映画版よりも、こっちのほうがいいだろう。死にたがっている女を殺す話が、映画では、生きつづける希望として父殺しに走り、失敗し、しかし生きてかえる話になったわけだ。リスクを冒すことそのものが生きる意味である、と。

 発表順ではシリーズの第一作だが、内容順では最終作になるらしい。もともと草薙の物語だったわけだ。ちょっとややこしいが、重要な物語が終わったあとの平坦な日常を、草薙は耐えられなかった。たんなる「終わりなき日常」ではなく、もともと「終わらせたかった日常」だったのである。そのことを映画では言えなかったから、妙なことになってしまったわけだ。

スカイ・クロラ

スカイ・クロラ