大江健三郎がpseudocoupleをつかうことは特に無意味ではない…

とはいえ、もとの用法からは、ずれているようだが(リンク先参照)。「おかしな二人」といえば多くの人がまず思うのは昔の映画のことだし、たしかにちょっと引っかかりは感じる(読者は大江が映画史にそう詳しくないことを想起しなければならない。とはいえ、私は大江がジャック・レモンウォルター・マッソーの映画のことを知らなかったのだと思っているのでもない(くどいけど書いておこう)。大江はうろ覚え程度にはこのタイトルを記憶していたのではなかろうか)。pseudoはfalse,pretendedの意味と辞書にあって、あはは、大江はfalseをfarceと混同したんじゃないの、と私は妄想する…。

ふつうに考えたら、機械的反復だというのだから「こわれた二人」、あるいは語の意味をくんで「二人のつもり」だものな。

http://www.beckettjapan.org/doc/29tajiri.pdf