「ひかりごけ」と捕鯨


教育テレビで日下武史が船長を演じているのを見た。人という枠組みから外れれば(主体からおりれば)なんだってできる。しかし、そのことを他人に説明することはできない(主体に復帰しなければならないから)。なぜ鯨肉を食うのか西洋人に説明できないように。「何で好みについて人から(あれこれ)言われなければならないんですか」と言うブラックマヨネーズは、この意味においては正しい。しかし「不要なのに何故?」と問うネジャットの疑問には答えていない。

なぜ反捕鯨勢力が大勢いるのかというスチュアートの問いの答えは、たぶん「鯨は家畜でないのにそれを殺している」ことが西洋人の禁忌に触れるから。日本人が法人としての自然から鯨という財(グッズ)を強奪しているように西洋人には見えるわけだ。『白鯨』の時代は西洋人も鯨を自然材として位置づけていた、と。

神は神でもロリコンの神だからなあ…。町山さん拝むんですか?