プアな風景

 私にはこれは、AVというものを、カウンターカルチャーと位置づけようとする、いわばアングラ文化人のような人たちが持ち上げた映画に思えるのだが、その実態は、ここで描かれるようなものばかりではないはずなのである。その辺をきちんと言う人がいないものかという気はする。(http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100310

もともとブルーフィルムをビデオでやろうという、AVってそういうものだったわけですから、それを込みで「カウンターカルチャー」と呼ぶのなら、実際にカウンターカルチャーなのではないでしょうか。かつて、日活という大手の映画会社が、これからはポルノ一本で行くときめた時は、時代を読んだ映画会社の対応になるほどと思う人びとと、普通に眉をしかめる人びととそれぞれいたことでしょう。映画というのは、幸福なことにといっていいのか、その黎明期に二度の大戦争に遭遇して育ったものだから、なおさら映画とAVを対比するのは酷である気がする。


「AVは金になる」という、それこそ本当かどうかわからない神話だけでなりたっている業界でしょうし、『あんにょん由美香』は、つっこみが甘いという点では小谷野さんに同感ですが、現実のプアな感じをよく写し取っているとは思いました。『映画芸術』でさえルノアールで談話収録するのに、この映画では中野のベローチェだったりする。夢をもった人間がプアな環境でただただ右往左往しているのは、とくにAVにかぎったことでなく、映像の現場ってもともとこういうものなんじゃないでしょうか。


なにもAVだけでなく、テレビ番組やCMの世界も、もう目を見張るほど急速にプアになっていってる。私が大いに気に入った『ゴールデンスランバー』も、よく見てみるとけっこうプアな画面を音効でごまかしている(パクの合っていないアフレコもまま見受けられた)。小谷野さんのいう「実態」がどのようなものをイメージしているのか分かりませんが、その実態とは、単に潤いのない寂しい寂しい風景でしかないのだと思います。

というか、素朴に疑問なのだが、あのビデオってそんなに笑えるかね。(同)


笑えない、というより、あの映像にいちいち笑わない普通の人はそもそもAVというジャンルそのものに見向きもしないのではないかと思いますが。変態が支えてる世界なわけですし。別の見方からすれば、つたない日本語に日本人が吹き出してしまうのは、これは自然なことだと思う。褒められたことでもないけど。


二週間くらいまえ、『ウルトラマンA』の「空飛ぶクラゲ」を見ていたら、Aが倒した超獣の墓を立てて拝むシーンがあって、若いころだったら私もこういう表現をことさら囃したてて見たことでしょうが(脚本石堂淑朗)、もう、ふつうにしみじみしてしまうのですね。