工夫しない人にどこまで高い下駄をはかせるつもりなのか

あたりまえだが、収入よりも低い額でまかなえる生活レベルを維持しなければ生活というものは破綻する。魚柄仁之助が、貧困に喘ぐ貧乏人がカップ麺をすする「ぜいたくさ」をどこかで指摘していたが、そのとおりだと思う。


風呂場の排水がつまって、修理を頼んだら、修理の人がなにかの部品を買うことをすすめてくる。もともと風呂場の排水口は細いので、時間がかかることは織り込み済みだったのだが、浴槽の水は隣のトイレにモーターのポンプで排出したらどうかというのである。ホームセンターで売っていると。でもそんなモーターは必要ない。だって俺、まだ30代なんだよ。自分でバケツで掻きだしゃいいじゃない。実際いままでそうしていたし。


中村文則産経新聞のサイトのコラム記事で、コンビニ弁当買えなかったうらみをいつだか書いていたが、私に言わせれば貧乏人はコンビニ弁当なんか買わずに自炊しろ、である。現に私は貧乏人だからそうしている。


「工夫しない人にどこまで高い下駄をはかせるつもりなのかなあ」と思う日々なのである。