反語としての否定疑問文の感覚

「これこれはなになにではないか」という否定疑問文を強調して使うと、しばしば非難の文句になる。「(その不作為は)責任放棄ではないか!」など。「責任放棄ではないか、いや、責任放棄である」というわけだが、私には、この「ではないか」というのが断定の強調のように聞こえて仕方ない。反語というのはそういうものだから気にしなくてもいいのだが、私はどうも疑問詞というものはやんわり表現されなければならないものだという思い込みに囚われているようで、「ではないか!」が疑問文なのだということが胸苦しくて呑み込めない。つい「お前がそう思っているだけだろ」と口走ってしまいそう。