橋本治とユリイカ

小谷野さんがマガジンハウスの『鳩よ!』で橋本を特集しなかったと書いているが、私の記憶では、この雑誌は1993年か1994年のどちらかに、特集という名目ではなかったかもしれないが、橋本のインタビューを載せてた。

岸川真のレポートが面白かった。講談社文庫の自筆詳細年譜で1990年頃橋本が荒俣宏と九州へ講演旅行に出たことは知っていたが、岸川はその聴衆の生徒の一人だったのであった。

ゆずはらとしゆきの文章も興味ぶかい。橋本を突き放しているようで、じつは不気味なまでに橋本に寄り添っている。1980年代前半の橋本にはこういうキモいフィーリングがたしかにそなわっていた。私はテレビや映画から娯楽を得ることに慣れきっているので、娯楽小説というのがまだるっこしくて読めないのだ。娯楽小説の読者を尊敬してしまう。私が本を読むのは、他人が何を考えているのかを知るためというもっぱら勉強的な要求からなのだ。

千野帽子の文章で考え込んでしまった。私は「黒人差別をなくす会」だけがフォニーだとばかり思っていたが、でも、かの会に対処して手塚全集を出荷停止にしたりおことわりを巻末に掲載したりした手塚プロだって、じゅうぶんフォニーだったんだよなということに。つまり、「出荷停止」とか「おことわり」って公のもので、公のものだからこそポリシーをひとつに決定しなければならない。でも、サブカルチャーや、娯楽って、ゆずはらとしゆきが「甘美な「まがいもの」」と呼んだように、結局公のものではないわけでしょう、実際のところ? それを考えすぎて、自分の表現を全部「公」にしてしまおうと天皇を担ぎだすところまで行ったのが小林よしのりな訳だし、橋本は「日本にはサブカルチャーなんて存在しない」と宣う戦術に出たわけだ。

公のものではないいち「私(わたくし)」が、あれやこれやを配慮するというポーズを気取ることで、なんとなく周囲を「公」っぽくする。平和な世界はずーっとこのパフォーマンスを続けていたのだ。