岸田秀そのほか

http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20100612/1276279034
岸田秀はのちに黒船幻想を敷衍して白村江の戦いが日本のトラウマになったとまで言っている。白人は他人種へのコンプレックスから、現在のように自分の基準を他人におしつけるような性格になったのだとも(日本で平然と人に英語で話しかけるていの傲慢)。

個人の精神分析理論が集団に応用されているというのも、フロイトだって第一次大戦後にさかんにやりだしている(それより前にも「トーテムとタブー」などある)。ある集団のトラウマ体験がそのままのちの世代に引き継がれることなどはありえないとしても、後続世代の子供たちは先行世代の大人たちから教育やしつけを受ける。その大人たちはトラウマ体験に(子供の世代よりかは)拘束されている。遣唐使がほどほどのあたりで取りやめになったのも白村江の痛手がときの朝廷に遠く影響していたからかもしれない。家田荘子がかつて書いた女たちの考え方のありように、彼女らが生まれる前にとうに終わった戦争のことがまったく影響していなかったなどと言えるだろうか。

重要なのは、抑圧のメカニズムがケースによってまちまちであることを、過去の分析をふりかえることで、有志たちが自己の認識を深めていくことであろう。ドーラの分析でなかなか深い洞察をさぐりあてたフロイトも、シュレーバーの(著書からの)分析においては浅いものしか拾えなかったことを、後年シャッツマンによって示された格好になったわけである。