学問に終わりはなく、報告はつねに途中経過をしらせるのみ

 小谷野さんと鈴木貞美のやりとりは、鈴木はこれは論争ではないとしているが、まあ論争であるとして、鈴木の圧勝という感じである。

 へんな副産物として、食わずぎらいだったカルチュラル・スタディーズにもこれから興味をもってもいいかなという気がしてきた。

 過去の「文学史」テキストには、どんなものがあったのだろうということも気になってきた。江戸時代以前の「文学史」。

 どの社会にも「高尚」と「通俗」の弁別はあって、それが文学にも当然及んでいる、そういう信念、あるいは感性が多分に一般的である可能性を否定できないけれども、やはりそれは実証できないのだから、「気分」のものでしかないであろう。人がどういう気分で生きていくかについて、他人があれこれ容喙してはいけないのはもちろんなのだが……。