明治のなかの金之助

島田雅彦は二十代ではやばやとカプセルの中の桃太郎を書いてしまったが、漱石もまた明治のなかしか知らない金之助だった。漱石だって遅れてきた青年(昭和にうまれた私からみれば坊っちゃんで生徒が反抗的なのとかじゅうぶんに「現代」である)で、しかし明治社会は吾輩は猫であるのような余裕を欲しがっていた。明治ももう四十年、竹橋騒動は遠い昔話となって、大逆事件程度の「軽い弾圧」であたふたするような平和が実現していた。

明治

議会開設までの二十年間をまったく知らないので、勉強になる。それこそ、廃藩置県が行われた、富国強兵がとなえられた、西南の役が起った、自由民権運動が盛り上がったことぐらいしか知らなかったのである。

文学運動の意味ががらりとかわって見えてきた。つまり平和な現実を納得するための手続きだったのか。実存(体)は本質(心)に先行する? 鴎外は漱石の心をどう読んだのだろう。ほぼ明治元年うまれの漱石が明治に殉じるなんていうのは、どうも滑稽なような気がするのだが。すくなくとも山県有朋は殉じているどころではなかったろう。

いま西南戦争あたりを読んでいるので太平洋戦争がはるか未来の戦争に思えるのである。
愚直な権力者の生涯 山県有朋 (文春新書)