明治のなかの金之助

島田雅彦は二十代ではやばやとカプセルの中の桃太郎を書いてしまったが、漱石もまた明治のなかしか知らない金之助だった。漱石だって遅れてきた青年(昭和にうまれた私からみれば坊っちゃんで生徒が反抗的なのとかじゅうぶんに「現代」である)で、しかし明治社会は吾輩は猫であるのような余裕を欲しがっていた。明治ももう四十年、竹橋騒動は遠い昔話となって、大逆事件程度の「軽い弾圧」であたふたするような平和が実現していた。