悪い奴ほどよく眠る(と、マルサの女)

マルサの女の権藤が杖をついているのは、この映画のよし子がそうしていることの引用なのではないかと思うのだが。板倉の母は私生児の母であり、つまりはマルサの板倉亮子とおなじく「シングルマザー」なのだ。もちろん権藤という名前は天国と地獄から来ている。

自分の想像力のせいで身動きできなくなってしまう西村晃演じる白井が面白い。

マルサの女では人が死なない(寿命で死ぬ人は出てくる)のに対して、2ではわりと頻繁に人が殺されることの対比を考えてしまうのだ。伊丹十三は、一作目をわりとディレッタント的に、劇映画を作れることを観客に誇示するつもりで作ったのを、東宝のほうが目をかけて、八〇年代の黒沢として育てようと思ったのではないか。その待遇にまんざらでもない気になって、しかし荷が重かったというのが、あげまん以降の伊丹映画の歴史だったのではないか。

黒沢明伊丹十三の対比というのは面白い。伊丹は、時代もあってか、弱者が弱者であることを信じられなかった。作品のすべてを自分ひとりでコントロールしようとした(黒沢みたいに脚本チームを持つ考えなどなかった)。などなど色々あるだろう。

不能の主題というのもありそうだ。悪い奴の主人公西(板倉)がなぜ女を愛するがゆえに「愛せない」のかを考えてしまう。伊丹十三はそういう悩みを精神分析に(普遍的な問題として)おしつけて、身をもって引き受けることから逃げてしまった。

岩渕が電話で昨夜は一睡もしなかったことを話す。途端にタイトル。「悪い奴ほどよく眠る」。この機智は面白い。