自我は死ななきゃなおらない

週刊文春を立ち読みしてたら、宮崎哲弥がまたまた自我がいつか消えることへの戦きを語っていた。他人はそのことにあまり頓着しないのがまた怖いのだとも言っているが、恐がりを自慢するのも変な話だ。このネタ何度くりかえすのだろう。饅頭を怖がるのとちがって脅かしてやることもできない。

リチャード・ドーキンスが、一般人が宗教に敵対的になろうとしない理由として、かれらが信仰を信じているからだと指摘しているが、この観察はおもしろい。な〜んで自我といわないんだよう、ドーキンスよ〜。とからみたい気持ちになる。自我と言った瞬間に、矢は自分にかえってくることを、ドーキンスは無意識的にか意識的にか、理解しているのだ。

フライングソーサーは「飛ぶ皿」である、そして、円盤投げの円盤が飛ぶのは当然だ

唐沢俊一は空飛ぶ円盤という言葉の語感を愛でていたが、フライングソーサーの訳語としては問題がある。アメリカ人が読み込んだ、間抜けな印象がふきとんでいるからだ。ケネス・アーノルドは「飛ぶ皿」の提唱者としてバカにされて(本人の責任ではないが)、「十階建てのビルが空を飛んでるといわれても驚かないよ」と、しょげるような、あるいは強がるような冗談をいったらしい。

円盤投げは英語ではディスカススルーというらしい。飛ぶ皿はないだろうとおもった日本人記者(この人は誰なんだ? こっちの人こそ取材してよ唐沢俊一!)が、円盤投げから表現をいただいたことは想像しやすい。もちろん、それが真実と決まったわけではない。

UFO陰謀論の不気味な世界

英語版ウィキペディアにあるモーリー島事件の項目を読んでいたら、ダールの上司フレッド・クリスマンがクレイ・ショーの友人だとあってビックリした。オリバー・ストーンの『JFK』でトミー・リー・ジョーンズが演じた男である。ショーはMJ12の陰謀論でも熱心に論じられているのだそうで、ビックリしてる私が間抜けなだけなのかもしれないが、まあMJ12のことなんて知らないし。

しかし1947年にあらかた出揃っていたのだなあ。UFO編隊飛行、UFOの遺物、宇宙人の死体、姿なき妨害者、MIB、関わった人間の事故死。ないものといったら宇宙人との対面くらいで、それは5年後にアダムスキーが大成功させる、と。平和に飽きたらない人間の裏面史、というか妄想の歴史。