自我は死ななきゃなおらない

週刊文春を立ち読みしてたら、宮崎哲弥がまたまた自我がいつか消えることへの戦きを語っていた。他人はそのことにあまり頓着しないのがまた怖いのだとも言っているが、恐がりを自慢するのも変な話だ。このネタ何度くりかえすのだろう。饅頭を怖がるのとちがって脅かしてやることもできない。

リチャード・ドーキンスが、一般人が宗教に敵対的になろうとしない理由として、かれらが信仰を信じているからだと指摘しているが、この観察はおもしろい。な〜んで自我といわないんだよう、ドーキンスよ〜。とからみたい気持ちになる。自我と言った瞬間に、矢は自分にかえってくることを、ドーキンスは無意識的にか意識的にか、理解しているのだ。