伊丹十三の話

ある朝、セカイは死んでいた

ある朝、セカイは死んでいた

あるきっかけで、ちょっと手に取った。エヴァ評論本以来だから、10年ちかく経つのか…。

なんというか、わたしの二十代は、サブカルチャーに興味を持とうと努力して、結局疎外感しか味わえなかった十年間だった、と総括できるかもしれない。

ギャップを飛び越えて、サブカルチャーの側へ渡らなければ…。というオブセッションがあった、とたしかに感じる。

エヴァとか、富野由悠季とか、いちおうがんばったが、どうしてものめり込めないのだ。柳美里大江健三郎については、すんなり、水が砂にしみこむように理解できるのに。

伊丹十三の話など、「電波男」の先蹤ではないか。丸山真男「日本の思想」で印象に残ったこととダブるのだが、いたずらに寛容な日本社会は、伊丹の発言を無限抱擁して、ただ一点、伊丹の思想は拒否した。「不倫なんかで自殺なんて」という根強い感想は、日本社会の総意なのだ。