「ゾディアック」原作

ゾディアック (ヴィレッジブックス)
 映画とずいぶん印象が違う。

 まず主人公の私生活描写がまるまるない。映画でギレンホール演じるグレイスミスのあれらのエピソードは、映画用に著者に取材したか、あるいはまったくのフィクションであるのか。

 文庫のカバー折り返しに、ギレンホールとグレイスミス本人とのツーショットあり。映画内キャラとしてのグレイスミスが本人とかけ離れていても、本人の了解の下の改変なのかも。

 ポール・エイブリーとの関わりも映画の印象より淡い感じだ。

 記録文学としてちゃんとまとまってはいる原作だが、これをネタに映画を作るのは難しい。だからフィンチャーは「ゾディアック」をああいう作品にしたのだが、やはり欲張りすぎたのではないか。

 メディア、殺人、科学捜査、劇場犯罪、謎解きに憑かれること、時代の変遷、時代から逃避した隠者たち。どれにもフィンチャーが魅せられていることはわかるが、焦点がぼやけてしまった。(そういえば、占星術には、フィンチャーは興味がないらしい。解読されなかった挑戦状をグレイスミスが解くシーンは、舌足らずもはなはだしい)

 フィンチャーは、殺人にふける異常者をスゲエものだと思いたいのだろうが、結局「ゾディアック」の原作が言い、その他の連続殺人者本が述べるとおり、殺人鬼というのは人格形成に失敗した悲惨な人間にすぎないのだ。