昭和に罅が入りはじめる…。

 シネマヴェーラで「1999年の夏休み」と「台風クラブ」の2本立てを観た。

 「1999年」は高校生のころテレビで見て、その世界観に夢中になって、しかし今の自分がそれをまだ好きになれるか不安があったのだが、やはり今観ても素晴らしい。

 これは今回はじめて気付いたのだが、ナレーションの声はわざわざ中年男性の低い声を採用しているのに、物語の登場人物は永遠の夏休みを無限にくりかえすのだ。ナレーションの内容からすると、ナレーターは登場人物のいずれかの成長後であるかのようなのだが、登場人物たちは成長への期待や不安や願望や義務感を語るのに、結局は成長しないで、無限に「悠」のバリエーションを迎え続ける。冒頭のナレーションによる言葉が、文字による文章に変わってエンディングで繰り返される。つまり、成長し、老いることが否定されるのである。

 これに対して「台風クラブ」は、「現実の」長野の山奥にさえ情報化の波が到達し、少年少女はラジカセで踊り狂い、ユリ・ゲラーに倣ってスプーンをこすり、生と死の形而上学に煩悶する、その様子を、昭和に罅が入りはじめる様子を、鮮烈に切り取った「ドキュメント」になっている。

 工藤夕貴尾美としのりに「田舎で土地の女としてくすぶるのいやなの」と泣いて訴えるシーンを見て、なにしろこちらは「ラッシュアワー3」をすでに観ているので、感慨深い。