宣伝と評判

録音録画機器がデジタル放送をエアチェックするばあいに有限回だけそれを有効とする方針に抗議する向きには、強欲もたいがいにせいよという感じを禁じえない。

別に私たちは海賊版をつくって商売するわけじゃないしと、善意の人がそう思っていたって、環境が整備されていれば、やるやつは出てくるのだ。

放送で見て、面白いと思ったものは、正規版を入手すべきである。

まあ、自分がいいとおもったものを言いふらしたいという人情があるのは、これは当然だが、その場合、他人と共有するのは、その評判に限るべきである。見て、不満におもったから、けなす。これは、アリだろう。もう、相手には、私は、ミルクシェイクを飲ませてあるのだから。

この映画を私は許せないんだよねーと言いつつ、映画館で盗撮した「証拠」をブログに掲載したら、これは犯罪行為である。もしかしたらそのミルクシェイクを飲めたかもしれない未来のお客を、映画作家から奪ってしまうことになるのだから。

評判というのは宣伝も兼ねるものなのであって、ここで私がたとえば『ゼア・ウィル…』をけなすのも、べつに興行がこけるのを狙っているのではないのである。是非観てほしいのだ。前半は文句なしに素晴らしい作品だし。

見るための手段が、いつのまにか目的になってしまう滑稽さ。情報と人類の不思議な関係である。