それは勇気の問題か?

第二の推定どおりの手紙と、統計に関する本が入っていた。手紙の内容は、私のブログを楽しみに読んでいる、確かに禁煙ファシズムだと思うが、立場上患者には禁煙を勧めている、とても実名を出して言う勇気はない、とかいう内容。たはは、と思ってしまった。そりゃあ、こういう末端の医師なんか、とても禁煙ファシズムに抵抗できる状況じゃないわな。http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080615


別に今が禁煙ファシズムの状況になかったとしたって、医者だったら「節煙」を勧めるべきなんじゃないのかと思うのですが。

仮に私が医者で、そして禁煙ファシズムの走狗だとしたら、ターゲットには「本当に心からたばこを吸いたいんですか?」と迫る。要するに洗脳の初歩であって、人間には命に代えても守るべき本当のことなんて、観念しかないのだから、誰だってたじろぐ。そこで…、というわけ。

しかしファシズムの状況を意識している個人の存在が、ファシズムの実在を証するなんて、先生もこれは科学的ではないですね。UFO(ここでは宇宙人の乗り物)の実在を意識している個人の実在が、宇宙人の実在を証する、というのと同じ伝ではないですか。

さらにしかし、ふと立ち止まって「日本型ファシズム」という言葉が思い出されて、これって収容所のないファシズムのことなのかなあ、という連想が働いた。日本は狭いからね…。蟄居とか、謹慎とか、隠居、禁門、禁錮、あるいは自主規制、これらが西洋ファシズムにおける収容所を代替したのか…。ファシズムだの科学だのふりまわす前に、自分が日本人であって、日本人独特の人間観に規制されていることを反省するべきなのかもしれん。

なんで、意見が他人の目に触れない状態になることを、「言いたいこともいえない」と表現するのか、私は、日本人の陰湿な感性こそが息詰まる気がするよ。法令を知っているがゆえに、たばこを吸い、「課金」を払わない先生の存在こそが、日本が禁煙ファシズムではないことを証明しているのだ…。