魔女狩りとフランク・ダラボン

 警察官につれられて現場検証する宮崎に、近隣住人が悪罵を投げつけていたことのほうが恐ろしかった。しかも、そのテレビ映像は、たまたま夏休みで遊びに行っていた祖父母の家で見ていたものだから、まあ祖父母の世代なら当然のことだったのかもしれないが、祖父母らも、テレビのこっちがわから宮崎を呪うのである。悪罵を投げつけるのである。これには、いまとなっては祖父母に申し訳ないが、祖父母と自分とのあいだにギャップを感じてしまった。テレビにむかって何かを言ったって、伝わるわけないのに…。この人たち、こわい…。というわけだ。

 この、祖父母がこわいと思った、その感覚が、わたしの中に道徳として内面化された、というのはあると思う。わたしがあることをやって、それが他人に知れたら、そのことが、ある人間をして、わたしにたいする、獣のような不寛容さにみちた反応を引き出しうるということ、この、恐ろしさ。

 自分の周りの人間が、獣のようになって、自分を取り囲む、その恐ろしさは、ちょっと想像を絶する。http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20071119/p1

  • The Majestic

Budget$72,000,000 (estimated)
Gross$27,807,266 (USA) (14 March 2002)
http://us.imdb.com/title/tt0268995/business

大壊滅、フィアスコォウ…といった感じだが、時期を見てほしい。つまり、魔女狩りを告発する映画が魔女狩りにあった、しかも劇中その魔女狩りを告発するのが、合衆国兵士の遺志を汲んだ脚本家だというお話に、アメリカ人が憤激したというわけ。

だから『ミスト』は復讐戦だったわけで、カーモディおばさんを射殺するオリーの容姿が原作と異なるのには、意味がある。アメリカ人対フランク・ダラボンの見えない戦い。スティーブン・キングも、そっとダラボンを支援している。なんだ、そこらの小説よりよっぽど面白い人のありようではないか。