映画をみるのにいちいち道徳の審判になる必要があるのだろうか?

いいですか、たとえば「レイプ好き」とかいう名前で、ポルノのファンサイトかなにかで書き込みをするのは、問題はあるものの、許せます。なぜなら犯罪性を認識し、犯罪のファンタジーと戯れていることを自覚し、その戯れを、特定のファンどうしの間でのファンタジーとして楽しんでいるため、ある意味、まだ健全なのです。しかし、その犯罪性あるいは犯罪につながる/代用となるファンタジーに、まったく無自覚なまま、みずからの欲望を公言しているのは、許しがたい行為です。「俺は女をレイプするのが好きだ」と大声で町を歩いているようなもので、誰だってというか、よほど頭がおかしな人間でも、そんな馬鹿なまねはしない。それをこの「少女好き」は、しているのです。http://d.hatena.ne.jp/rento/20080619


アマゾンが「町」であるかどうかで私とrento氏とのあいだにすでに認識の相違がありそうですが、アマゾンが町だったとして、町で道徳的に不適切なことを他人に聞こえるように述べ立てるのがいけないのは、内容のせいではなくて「うるさいから」に過ぎないのではないでしょうか。

もしかしたらこの「少女好き」さんも、自分の嗜好を直視して、合法的な範囲で消費活動をしているだけの人物なのかもしれないし(もしかしなくても十中八九そうだろうが←10パーセントも疑ってるのかよ!)、rento氏が怒るのはあきらかに筋違い。映画をみるのにいちいち道徳の審判になる必要があるのだろうか?