ヒッチコック

宗教嫌いが高じてフロイト信奉者になってしまったかのようなヒッチコックドーキンスの『神は妄想である』でもちらりと言及されていた)。未見だったあれこれをぽつぽつ見ているのだが、『暗殺者の家』は不思議な感じである。やっていることの「新しさ」と映像の古さが、わたしの中で認知不協和をおこしてくらくらするのだ。主人公の妻が、娘を襲う悪漢を遠くからライフルで撃ち殺すのだが、これ1934年の映画なんですよ。悪者どもが教会を根城にしている設定も、当時としては斬新だったろう。

『見知らぬ乗客』。病んでるねえ。とくに『サイコ』がヒッチコックの中での異色作ではないことがよくわかる。遊園地の湖にある離れ小島での殺人なんて、ちょっと風景の類似から『ゾディアック』における湖の岸辺を思い出したりもしたが、いやはや、ヒッチコックのほうがよっぽどこわい。

ヒッチコックの不思議さは、人間を機械として扱うことを、こんなにも早くはじめているという不思議さで、同時代の人間がヒッチコックに魅了されつつも批難をくりかえしていたことの理由がここにあるのではないか。要するに、悪の魅力なんてことを言うやつは、二流の文化人でしかなくて、ヒッチコックを悪を描くゆえに批難することは、実際にヒッチコックがやっていることに目をふさぐことに過ぎない。ヒッチコックがやっているのは、だただた理屈、理屈を展開するのみなのだ。毎回毎回、ヒッチコックは、発生したトラブルをどのように収束させるかということしか考えていないのだ。