死体を見ていないことへの準備

少し離れたところからならば、私は、飛び降り自殺体や、線路に飛び込んだか落ちたかした事故死体を見たことがある。

とはいえ、私は、ろくに死体というものを、それも無惨なそれを見たことはない。写真や映像でいくら見たって(見たが)、その場に自分もいるという体験とは比べ物にならないだろう。

だから、神戸の地震や、9.11テロに巻き込まれた人と、私の死への現実感が相当に違うものだと考えることは難しいことではない。

いちおう私は学生の頃から養老の本を読むなどして、準備はしていたつもりだが、準備は準備でしかなく、その準備が適切なものであったかは、コトが起こってからでなければわからない…。