ミスト論議

某監督がしつこく『ミスト』をけなしている。あんな自決は不自然だし許せないという主張なのだが、『ミスト』は別に自然さを演出して観客を感心させるための映画ではないからねえ…。そんなこといったら、あんなバケモノは現実にはいない、ただのCGだって話だからねえ…。

主人公が車におおあわてでもぐりこんだら、ボンネットに銃が落ちてきた。あれが欲しい。でも外にでたらバケモンに襲われる。どうしよう。そうなったら手だけのばして、銃をつかもうとする、それでゲットできなかったら、さらに半身をのりだして銃に手をのばす。…自然な人間心理ではないですか。いったん車外へ出ろよという某監督のつっこみこそが的外れであって、状況を理解していない。いっしょに逃げてきた女が「そんな危ないこと止めて!」と主人公を制止してもいた。ちゃんと脚本は書けている。

見た目起こっていることが自決であるから、某監督はヒートして歴史をもちだしておかしな主張をしてしまう。あれはどちらかというと「安楽死」なのであって、狂信とは関係ない。万策尽きて納得ずくで死を受け入れたら、それが早合点による愚行としか思えないように状況が急変してしまう悲劇、それをダラボンは描いたのであって、それはアメリカ社会の状況が急変して赤狩り批判の『マジェスティック』が大コケしたダラボンの「現実」とひびきあうものだ。(http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20080620/p1)正しい現実認識は、ほんとうに正しいのか。ダラボンはそれを問うているのであって、ダラボンは自己を主人公に仮託してからっぽな英雄譚を披露していないだけ、「まとも」なのである。