幸福という観念が間違っている

人格というのは、社会の安全保障に寄与する虚構でしかない、という思いが日に日に強まっている。

個々人のしあわせという考えこそが、最大の詐欺の手口なのだ、きっと。

人は、幸福を追求するのではなく、2択の対立項目をさがしもとめるべきなのだろう。選択したら、当初は満足するが、不満はきっとでてくる。不満を感じる段階にいたったら、別の何かをさがしてきて、それを旧い選択肢と比べる。死ぬまで、それの繰り返しをつづけるべきなのだろう。

幸福という観念をすてられない人間は、ようするに不満を溜め込んだ存在にすぎないわけで、そんなやつらはほどなくして神の名のもとに他人を巻き込み、ひがみ根性から発する災厄を周囲にふりまくに違いない。オウムの連中だって、暴発するのに10年もかからなかったのだ。