暴力による解決


池田信夫先生のいう「ノンワーキングリッチの解体」とか、言葉は美しいけれど、ではそれをどうやって実現するのかまったく想像もつかない。

というか、日本国においては、国会で法律をつくって、平等法?的なそういうものを、企業におしつけるしかないんだけれど。

平等に近くなったときの大衆のアホさというのは、高度経済成長期の行楽ブーム、レジャーブームをふりかえればわかるとおもうんだけど…。ちょっとひねった方向からそれを描いた小説に、筒井康隆の「幸福の限界」という短編がある。まさかワーキングプアの権利を主張したい人々というのは、貧乏人に金をくばって、ふたたびあの狂騒を再現しようというわけでもないだろうが、しかし、人間ってバカだから、よほどの変わり者(俺のような…)でないかぎり、周囲の人間と同じ行動をとるんだよね…。(まあ、それが知恵なんだといわれれば、否定しないけれども…)

空調の利いた個室で、ソファでくつろぎ、テレビをながめながら、社会の悪口をつぶやきつづける…。無惨といえば無惨、愚かといえば愚かな光景だが、しかしある種の至福であることも否定できない。

あまりに「正直すぎる」のがつらくて、途中で視聴を中断していた『シティ・オブ・ゴッド』をやっと最後まで見たのだが、すごいね、これ。他人を殺すのが面白いから殺す。自分が持ってないモノを持っているヤツから奪うために殺す。単にうるさいから殺す。あまりのウソのなさに呆然。ちょっとフロイトに見せてあげたい気がする。白人優越思想をこじらすだけかな…。

日本がウソだらけのシステムなのも、『シティ・オブ・ゴッド』を見てしまうと、あながち悪いことともいえないのかもなあ、と思ってしまう。「ウソが嫌いだ」と気軽に口にするみなさん、ぜひ『シティ・オブ・ゴッド』を見ましょう。ウソがない世界とは、こういう世界のことなのです…。