人は猿に近づく?


池田信夫先生が、テレビ業界が利益を囲い込もうとするのは、かつて映画業界がテレビ業界に対抗して五社協定を組んで自滅したのと同じ轍を踏むものだ、というようなことをいっていて、五社協定ウィキペディアの項目にリンクしているのだが、しかしその当該ページをみても、五社協定「だから」映画業界が「自滅」したとは書いてはないのである。


見方をかえれば、映画業界が映画俳優のテレビ出演を禁じたり、映画作品の放送を禁じたりしたことが、かえって昭和30年代、40年代のテレビが面白かった理由であるとすら言えそうだ(私は当時生まれてないけどね)。必要は発明の母であって、制限があることで、人は工夫をするのだから。


映画館の減少が「滅」であるとするならば、テレビ受像機がふえたことで、五社協定の存在にかかわりなく、映画業界は滅びはじめたのである。しかしそれは自滅ではない。そして、いま現在だって、べつに映画業界は滅びきってはいないわけである。


たしかによそいきの娯楽としての大昔における映画から、お茶の間で家族でみる昭和の娯楽としてのテレビを経て、昭和末期のゲームセンター、ファミコン、平成期のポータブルゲームへと、まあ視覚娯楽はより個人向けになり、かつ情報量が増大化している。


サルの一種である人も、よりサルらしく、目前のちいさな端末でマルチタスクすることを良しとして、機器を発展させてきたわけだ。ゲーム脳もなにも、現代人は脳脳(のうのうと発音してください)なのである。脳のミニチュアを端末化して、それを楽しもうとしている。脳脳って、なんだか松本人志の「頭頭」みたいだな。移動や集団行動や団欒が、情報の出し入れにとってストレスでしかないことが、戦後60年かけて実証されたわけだ。